自宅で縊死した京劇の名花

今年(2019年)12月5日午前10頃、京劇(北京オペラ)の名花と謳われた姜亦珊が、北京市豊台区の自宅で首吊り自殺をした。享年41歳である。姜は国家一級女優の称号を持ち、かつ、北京市政治協商会議常務委員という肩書も持っていた。

姜亦珊の突然の死に、京劇界では衝撃が走った。姜は、1週間前の11月29日夜、河北省石家荘市で公演(演目は「大保国・探皇陵・二進宮」、略称「大探二」)を行ったばかりである。

姜亦珊は、幼い頃から京劇を学んだ。そして、1996年、瀋陽芸術学校京劇科を卒業している。同年、瀋陽京劇院に入ったが、2000年、天津京劇院へ、2006年、北京京劇院へ移っている。薛亜萍や梅葆玖といった名優に師事した。

姜亦珊の代表作としては、「秦香蓮」、「状元媒」、「望江亭」、「春秋配」、「白蛇伝」、「貴妃醉酒」、「玉堂春」等がある。そして、姜は「中国演劇梅花賞」や「中国ゴールデンディスク賞」等を受賞している。

姜亦珊は明るい性格で、決して自殺をするような人間ではなかったという。また、姜には11歳の息子、柳知序がいる。

柳は8歳の時、母親と一緒にCCTV「戯曲」という番組に出演した。柳は、姜亦珊が歌っている間には弦楽器を奏で、また、母親と共に京劇の一部を披露している。

姜亦珊がその大切な息子を残して死ぬとは、よほどの大事件に遭遇したに違いない。

姜亦珊は、初め軍人と結婚したという。姜の2番目の夫、孟凡良(52歳。江蘇省徐州豊県出身)は、中国国務院国有資産監督管理委員会の幹部教育訓練センター副主任だった。

姜亦珊が自殺する直前の12月3日、孟凡良は重慶市当局に重大な規律違反・違法行為容疑で調査された(これで孟の失脚はほぼ確実となった)。

実は、京劇界には、大御所の袁慧琴という有名女優がいる。昨年1月、国家劇院副院長に任命されて以降、袁は習近平主席の講話に従って、共産主義イデオロギー色の強い演劇「紅軍物語-ハーフキルト(仮訳)-」のリハーサルを行った。

中国共産党は、結党以来、文芸をその宣伝手段と位置付けて来た。近年、演劇界では、「文化大革命」期、毛沢東夫人、江青が文芸を“左”(日本語の“右”に相当)へ旋回させたのと同様に、再び共産主義イデオロギー色の強い演劇のリハーサルが頻繁に行われている(ちなみに、2015年、習近平夫人、彭麗媛は歌劇「白毛女」を指導し、全国巡演した)。

袁慧琴の夫、王立民は、中国社科院金融研究所党委員会書記兼副所長だった。王立民はかつて学術誌『哲学研究』や『世界哲学』に幾つもの文章を発表している。その中には、「習近平総書記の国政統治哲学思想」がある。だから、王は、香港メディアから「習近平哲学思想」の権威と見なされた。

王立民も、12月4日、当局に重大な規律違反・違法行為容疑で調査された。

ひょっとして、姜亦珊の死は、夫の孟凡良の失脚、及び、袁の夫、王立民の失脚と何か関係があるのかもしれない。

ただ、姜はなぜ自殺という道を選んだのか謎である。姜亦珊は、孟凡良・王立民の疑惑に関して、色々知っていたのかもしれない。そこで、当局の調査を逃れるため、縊死という手段で墓場までそれを持って行ったとも考えられよう。

一般に、中国共産党の重大な規律違反・違法行為とは、贈収賄や愛人を作る事を指す。ただし、共産党幹部はほとんど全部が、重大な規律違反を行っていると言っても過言ではない。

収賄をしなければ、昇進は不可能だからである。下級官僚から賄賂を受け取り、上級官僚にそれを献上する。これを繰り返して、ようやく党幹部にのし上がる。

しかし、今の中国共産党に、林則徐(19世紀半ばに活躍した欽差大臣。中国官僚史上、最もクリーンだったと言われる)を求めても、「木によりて魚を求む」が如く、所詮、無理な話ではないか。

ところで、もし孟凡良や王立民が「習近平派閥」でなければ、いつか失脚する日がやって来るという事態は予想できた(たとえ「習派閥」に属していても、習主席を怒らせれば、失脚につながるかもしれない)。

とりわけ、孟・王が「上海閥」(「江沢民系」)ならば、習政権のターゲットになる。官僚の失脚は、しばしば上層部の政治的思惑や力関係で決まる事が多い。

そのために、家族や親戚は運命が左右されたり、時には犠牲になったりする(かつての中国では「誅連九族」が有名。自らが重大な罪を犯すと、高祖父、曾祖父、祖父、父、本人、子、孫、曾孫、玄孫まで罰せられた)。ある意味、姜亦珊は、その犠牲者の1人なのかもしれない。