習近平政権下での焚書政策

   最近、中国の一部の図書館で焚書が開始されたという。今の時代に焚書とは驚きである。時代錯誤もはなはだしい。

 事の発端は、今年(2019年)10月15日、中国国家教育省基礎教育課が、各関連部署に、ある通達を出した事に始まる。
 「全国小・中・高校図書館図書の審査・整理について特別行動展開に関する通知」である。それは違法な本を断固として整理し、流通を止め、保管することを要求している。
 もう少し具体的に言えば、国家の統一・主権・領土保全を危険に晒すような書籍、政党史、国史軍事史を歪曲する書籍、また、共産党の宗教政策に違反する書籍、社会主義の核心価値観に合致しない書籍、偏狭な民族主義と人種主義を標榜する書籍などは、すべて整理の対象で、一掃しなければならないという。
 しかし、出版物は本当に焼却されなければならないのかという疑問が残る。また、何が国家にとって危険なのか、何が歴史の歪曲なのか、何が党の宗教政策に違反するのか、何が社会主義の核心価値観に合致しないのか、その線引きが極めて曖昧である。
 実際、この通達を受け、新疆ウイグル自治区イリ・カザフ自治州で、学校が生徒に対し、カザフスタンの読物を学校側に提出するよう強いられている。
 他方、10月23日、甘粛省慶陽市鎮原県の図書館で焚書が始まり、65冊の書籍が焼かれた。なぜ甘粛省焚書が始まったのか。3つの理由が考えられよう。
 まず、第1に、甘粛省のトップ、林鐸(前省長。現、同省委員会書記)、あるいは慶陽市トップ・鎮原県トップ等が、習近平主席に対し、忠誠を示そうとしたのではないか。
 第2に、林鐸、ないしは市県トップ等が党規約違反(贈収賄、愛人を作る等)を行った。失脚を免れるため、習主席にゴマをすり、焚書を行っているのかもしれない。
 第3に、林鐸、ないしは市県トップ等が本当に「習近平思想」に傾倒し、甘粛省の人民に同思想を植え付けようとしている可能性もある。
 毛主席は「毛沢東思想」をすべてではないにせよ、一部は自ら創造したと考えられる。けれども、習主席は「習近平思想」を少しでも自ら創造したのだろうか。
 実は、習近平主席には、学歴疑惑がある。大学院はおろか、大学さえまともに出ていない公算が大きい。そんな習主席が「習近平思想」など、創造できるとは考えづらい。
 同思想は、王滬寧政治局常務委員(復旦大学教授。江沢民胡錦濤習近平の3人の主席に仕える)の創造物ではないだろうか。だとすれば、それは到底、「習近平思想」とは呼べる代物ではないだろう。
 さて、陳奎徳が『光伝媒』「新“焚書坑儒”と“胡錫進現象”」(2019年12月19日)で、以下のように書いている。
 有名な作家の章詒和は次のように焚書を厳しく非難した。「整理の名の下、学校でスタートさせた中国文化の生命線を毀損する全国的な焚書は、全国自民代表大会において挙手で通過しなければならない。今度の焚書は、一体、誰が承認したのか?誰がサインしたのか?」。
 そして、章は、雒樹剛・文化観光部部長と直接話をしたという。「図書館も本を燃やしていますが、図書館は文化部に属しています。文化部からそのような通達を出しましたか?雒部長。」と。
 ところで、焚書は歴史や文化を抹殺する行為である。焚書によって、書物が焼失したら最後、後世に残すべき貴重な情報が失われる事になる。明らかに、焚書は文化を後退させる“愚策”と言えよう。
 歴史上、有名な焚書事件は、秦の始皇帝による「焚書坑儒」(宰相の李斯の提言だとされる)とナチス・ドイツによる「非ドイツ的な魂」に対する抗議運動である焚書が挙げられるだろう。
 また、中国では「反右派闘争」時や「文化大革命」時、一部焚書が行われたという。
 現在、中国共産党は、何のために焚書を行っているのか。国内に「習近平思想」を流布させるためか。それとも、他に書物があると同党の存続に都合が悪いのだろうか。
 仮に、今後、中国全土で焚書の嵐が吹き荒れれば、貴重な書物が大量に焼失するだろう。中国共産党は、このようなイデオロギー優先政策で、本当に米国に追い付き、追い越せると考えているのだろうか。大きな疑問符が付く。