香港の海に浮んだ15歳少女全裸死体

 一部のメディアがすでに伝えているように、今年(2019年)9月22日、香港九龍油塘魔鬼山(Devil's Peak)沿岸に、全裸の少女の遺体が浮かんだ。香港の専門学校、知専設計学院(HKDI)に通う15歳の陳彦霖である。 同19日午後2時15分頃、陳彦霖は地下鉄の「美孚」駅で友人と別れ、その10分後、今から帰宅すると友人にメールを送った。その後、彼女は失踪し、家族・友人は彼女と連絡が取れなくなった。陳彦霖は友人らと近くバーベキューをしようと約束していたという。
 同21日、家族が警察に陳彦霖の行方不明届けを出した(なぜか、当日夜、警察官の一団が油塘付近に現れている)。彼女の遺体が発見されたのは、その翌日であった。
 10月11日、香港警察は、陳彦霖が失踪した夜、監視カメラで彼女が海浜公園へ向かっている姿が確認されたと発表した。
 けれども、陳彦霖の遺体には外傷がなく、性的被害に遭った痕跡もない。警察は、死因を特定化できないが、事件性はないとして自殺と断定した(ちなみに、警察発表の前日、10月10日、陳彦霖は荼毘に付されている)。
 ただし、家族や友人が陳彦霖の遺体を見ていないので、警察以外、外傷があったのかどうかわからない。不思議な事に、事件後、陳彦霖の母親と叔父も失踪している。
 同月17日、何某と名乗る女性が無線テレビ(TVB News)に出演した。そして、何某は陳彦霖の母親で、生前、娘は精神的に病んでいたので自殺したと語っている。
 最近、SNSで陳彦霖と写っていた“本当の母親”は髪が短い。ところが、何某は髪が長かった(何某がカツラやウィッグをつけていた可能性がないとは言えない)。おそらく、香港警察は、何某に陳彦霖の“偽の母親”を演じさせたのだろう。
 実は、陳彦霖は水泳が得意だった。学校の水泳大会にも出場している。友人の証言によれば、5メートルの高さから水中に飛び込んでも、向こう岸へ泳いで行けるスイマーだったという。そういう少女が海に飛び込んで、自殺する事は考えづらい。
 他方、普通、人が自殺する際、全裸で自害するだろうか。例えば、入浴中、突然、自決を思い立ち、カミソリで手首を切った場合、全裸自殺はあり得る。しかし、そのような特殊な場合以外、まず全裸で自害する事はあり得ないだろう。自殺志願者は、服を着たまま命を断つのではないか。
 仮に、陳彦霖が精神病であっても、全裸で海に投身自殺する可能性はゼロに近いだろう(ごくまれに、着ていた服が全部海で流される事はあるかもしれない)。
 アジアでも優秀なはずの香港警察が、そのような杜撰な捜査で、陳彦霖が自殺したと決めつけている。
 実は、これまで、陳彦霖は、しばしば「逃亡犯条例改正」反対運動(「反送中」運動)に参加していたという。
 今年6月、香港で「反送中」運動が起きてから、何人もの自殺者が出ている。初め、彼らの多くが、遺書を残して自殺した。
 ところが、香港ではある時期から、急に自殺者が増えている。もしかすると、香港警察による他殺の公算もある。
 陳彦霖のケースも遺書がない。したがって、彼女が自害したと決めつけるには、やや無理があるのではないか。
 学校や警察は、監視カメラで陳彦霖の行動を調べたという。ところが、10月14日午後4時、学友らが事件当日(9月19日)のビデオを見た限りでは、かなり編集が施されていた。
 陳彦霖が失踪後、エレベーターに乗っている姿が、防犯カメラの映像に残されていた。陳彦霖の友人達は、おそらく彼女と共にエレベーターに乗った怪しい人物こそが、陳彦霖を襲った真犯人ではないかと疑っている。
 ひょっとすると、その映像中、犯人が陳彦霖を襲った部分はカットされているのかもしれない。
 更に、10月16日、警察は、監視カメラで撮った陳彦霖が学校へ戻って、裸足で歩く姿を公表した。だが、彼女に似た女子が陳彦霖を演じていたのである。報道された写真で見る限り、明らかに顔や肩幅が違う別人であった。警察による過剰な演出ではないか。
 陳彦霖が殺害されたと仮定すると、一体、誰が彼女を殺したのか。香港警察が、彼女を襲った公算が大きい。警察がデモ参加者を1人、また1人と眠らせているのかもしれない。これは、まさに台湾で行われていた国民党による「白色テロ」(1947年の「2・28事件」以降、80年代前半まで)と同じ手口である。
 もし、そうだとしたら、誰が直接、陳彦霖を毒牙にかけたのか。
 真っ先に考えられるのは、香港警察に依頼された香港マフィア「三合会」(「14K」等のマフィアの連合体)だろう。他には、中国国家安全部あたりが陳彦霖を殺傷した可能性も排除できない。(2019年10月25日)

中国の総債務

 今年(2019年)11月11日、中国の「独身の日」、ネット通販最大手のアリババのセールが過去最高を記録した、と日本メディアはこぞって報じた。これは、同国の消費が未だ旺盛である事を世界にアピールする中国共産党の“策略”だろう。日本メディアはそれに踊らされている観がある。 その6日前、同月5日『博訊』に掲載された蔡慎坤の「誰が中国の借金を返済する能力があるか?」という論文は刮目に値しよう。ここでは、同論文の概略を述べたい。
 中国では、この10年間で、2012年にだけ、1.12兆元(約17.5兆円)の黒字が出た。胡錦濤主席-温家宝首相コンビは政権末期だったので、財政出動を控えたのである。
 だが、習近平政権になると、その誕生と同時に、財政赤字が一気に拡大した。2015年までに2兆元(約31.2兆円)を超え、昨2018年には4兆元(約62.4兆円)を突破している。
 国債の発行量は2016年に3兆元(約46.8兆円)近くに上昇し、2018年には3.5兆元(約54.6兆円)を超えた。
 他方、2016年には地方債の発行を開始したが、毎年4兆元(約62.4兆円)以上にのぼる。膨大な財政赤字が膨らむ一方、巨額の債券を保有する。
 実は、近年、金融界は驚くべき中国の債務状況を伝えていた。
 現在、累積した外債はすでに1.97兆米ドル(約213兆円)に達した。国有企業の債務も130兆元(約2028兆円)を超えている。国債を含む中国の総債務はすでに500兆元 (約7800兆円) 余りに達した(筆者注:同国の“総債務”は、中央政府・地方政府・国有企業・個人の4債務に分類できる。普通、その4者すべてを指す。ただし、時には、中央政府が負うべき前3者だけを指す場合もある)。
 同国の総債務500兆元(約70兆ドル)は、米国のそれの3倍以上であり、世界第2の経済体は世界一の債務国となった。
 中国の債務はオーストラリア、米国、ドイツ3国の債務合計よりも多い。通常、途上国の債務は先進国より少ないが、中国は違う。不動産開発や地方政府の借金、急速に拡大する「シャドー・バンキング」等のため、わずか10年で中国は、最少負債国から最大負債国へと転落した。
 最も懸念されているのは、急速に増大した負債中、多くの債務が返済不能に陥った点である。一部の地方では、盲目的に投資されたプロジェクトに対し、利息が支払われないばかりでなく、元金さえ返済するのが難しい。
 多くの中国人は、巨額の債務に対し、自分とは関係がないと感じている。だが、当局の統計によれば、今年上半期、全国の省・市の財政負債は天文学的な数字にのぼった。上海を除いて、ほとんどすべてが重い負債を負う。
 数年前、国家金融発展実験室理事長の李揚は、北京の幹部と地方政府に対し、債務総額はすでに168.48兆元(約2628.3兆円)まで達していて、全社会のレバレッジ比率(負債率)は249%だと穏やかに注意を喚起した。
 李揚の分析は、実情を過小評価している。CICCインターナショナル董事長を退任した朱雲来は半公開の場で、次のように喝破した。
 2017年末の中国の債務規模は600兆元(約9360兆円)に達し、一人当たり40万元(約624万円)の負債を抱えているという。債務は毎年20%以上のスピードで増加し、GDP 6%の伸びをはるかに上回る。
 債務規模は昨2018年に720兆元(約1京1232兆円)に達し、今年は860兆元(約1京3416兆円)に達する。年利6%ならば、年間の利息は40兆元(約624兆円)から50兆元(約780兆円)以上に達し、少なくともGDPの半分以上となる。
 他方、中国国家外貨管理局によると、2019年8月末時点の外貨準備高は3兆1072億米ドル(約335.58兆円)で、対外債務残高は1兆9132億米ドル(約206.63兆円)である。
 外貨準備高の3兆1000億米ドルから対外債務の1兆9100億米ドルを差し引くと、残りの外貨は、1兆2000億米ドル(約129.6兆円)に過ぎない。
 その保有外貨は、少なくとも8000億米ドル(約86.4兆円)が外資系企業の投資と利益である。万が一、外国資本が大量に撤退すれば、中国には外貨準備があまり残らない計算になる。
 以上が概略である。
 もし、蔡慎坤の主張が正しいとすれば、中国の総債務はすでに500兆元 (約7800兆円) に達する。仮に、中国当局が発表している昨2018年のGDPが90.03兆元(約1404.5兆円)だとしよう(ただし、この数字には疑問符が付く)。すると、総債務がGDPの555%となる。昨年の中国のGDPが80兆元(約1248兆円)しかなかったと仮定すれば、総債務がGDPの625%となるだろう。
 一方、中国当局が自負する世界一の外貨準備高も、せいぜい4000億米ドル(43.2兆円)程度しかない。これでは、今年10月4日、韓国銀行(中央銀行)が発表した9月末の外貨準備高、4033億2000万ドル(約43兆5586億円)とほとんど変わらないではないだろうか。
 これが、破綻の危機に瀕した中国経済の実態なのである。(2019年11月12日)

「香港内戦」の遠因・近因とその背景

今年(2019年)10月1日、中国の国慶節を機に、6月から始まった香港の「逃亡犯条例改正案」反対デモ(「反送中」デモ)への香港警察の対応が荒っぽくなっている。 更に、11月4日、習近平主席と林鄭月娥香港行政長官が上海で会談して以来、それが顕著になった。おそらく香港の「飛虎隊」(香港警察特殊任務部隊)の中に、中国人民解放軍武装警察が多数紛れ込んだからではないか。
 今までは、ゴム弾やビーンバック弾を使用していた警察が、デモ隊に対し、一転して、躊躇なく実弾を発砲するようになった。すでに、最低でもデモ参加者4人が銃撃された。危うく命を落とす寸前だった者もいたが、幸いにも、皆、助かっている。
 その代わり、不審死を遂げるデモ参加者が続出している。象徴的なのは、9月下旬、香港の海に全裸で浮かんだ少女、陳彦霖(泳ぎが得意な15歳)だろう。この不可解な事件を香港警察は“自殺”として片付けた。
 他にも、信じがたい事件が発生している。デモで逮捕された18歳の女性が数人の警官に荃湾警察署でレイプされた。そのため、彼女は妊娠し、エリザベス病院で堕ろしたという。
 11月12日深夜、香港中文大学では、学生と警官が激しく衝突した。これはもはやデモではない。「内戦」と言っても過言ではないだろう。多くの学生は遺書を残して、この自由と民主を守る“聖戦”に臨んでいるという。
 さて、今度の「香港内戦」の遠因は、2014年8月末まで遡る。
 中国全人代常務委員会は、2017年の「1人1票」の行政長官選挙で、「民主派」の長官が選出されるのを危惧した。
 そこで、中国全人代常務委員会は、それを阻止するため、従来の行政長官立候補規定(150名の推薦人が必要)を、突如、過半数以上へと変更した。それが5年前の夏である。「選挙委員会」は、約1200人で構成されるが、「親中派」が大勢を占める。そのため、「民主派」候補が過半数の推薦人を獲得できるはずもない。
 これを見た香港の知識人と学生がまず立ち上がった。そして、市民を巻き込んで「雨傘革命」を起こしたのである。結局、「雨傘革命」は、指導者の内部分裂や陣地戦の失敗等もあり、同年12月半ばで終息した。
 では、「香港内戦」の近因は何か。周知の通り、「逃亡犯条例改正案」をめぐり、反対運動が起きた。
 昨2018年2月、若い香港人カップルが台湾を旅行した。その際、男子が女子を殺害している。まもなく、その男子が1人で香港へ戻って来た。だが、香港検察は、その男子を殺人罪で起訴できなかった。それに、台湾と香港の間に「犯人引渡条約」が無い。
 そこで、香港政府は「逃亡犯条例」を改正し、台湾で罪を犯した香港人を裁く事が可能になるよう図った。けれども、もし条例が改正されると、香港での経済犯ですら、中国本土で裁かれるようになる。それを恐れた香港人は、「逃亡犯条例改正案」反対運動を開始した。
 ところで、「香港内戦」の背景には、まず、中国共産党側に要因があるだろう。
 2012年秋、習近平主席が登場して以来、徐々に、「民主化」「自由化」への道が閉ざされて行く。
 また、習主席としては、自らが鄧小平を超え、毛沢東になる事を目指した。習政権は、「改革・開放」の鄧小平路線を捨て、「第2文革」(「文化小革命」)を始めたのである。
 習政権は「人権活動家」や少数民族を弾圧し、宗教者を抑圧している。そして、香港の「反送中」デモでも、力で捻じ伏せようとした。
 他方、習主席は「中華民族の偉大なる復興」を掲げ、米国に代わり「中国的世界秩序」の再構築を目指している。
 ところが、習近平政権の思惑を察知した米トランプ政権は、対中貿易戦争を仕掛けた。習近平政権誕生以降、中国経済は右肩下がりだったが、「米中貿易戦争」で状況が更に悪化している。どうやら北京は、その矛盾のはけ口を香港に求めている観がある。
 次に、香港側の要因とは何か。
 第2次大戦後、英国の支配下にあった香港は「借りた場所」・「借りた時間」だった。あくまでも、香港は海外移民するためのステップ台に過ぎず、当地に根を下ろす事はほとんど考えられなかった。したがって、当時、「香港民族」・「香港独立」等いう言葉は存在しなかったのである。
 けれども、21世紀に入り、とりわけ2010年代になると、急に若者を中心に「香港人アイデンティティ」が増大した。更に、香港を「祖国」だと認識する若者が急増したのである。
 一方では、中国大陸からビジネスや留学で香港へやって来る中国人も少なくない。そこで、近年、香港人と大陸出身者の間に、就職や住居費等を巡り、様々な軋轢が生じた。
 今回の「香港内戦」も、以上のような背景があるのではないか。(2019年11月15日)

盤石の構えで台湾総統選に臨む民進党

   来年2020年1月11日(土)、台湾では第7回目の総統民選が行われる(第1回目は1996年で、李登輝・連戦ペアが勝利)。 与党・民進党は、今回、執権党でありながら、初めて党内予備選(世論調査で候補者を決定)を行った。2004年の総統選挙時、陳水扁総統が再選に臨む際、予備選は実施されていない。
 ところが、次期選挙に向けて、今年(2019年)、民進党は党内予備選を敢行した。それは、蔡英文総統があまりにも不人気だったからである。危機感を覚えた前行政院長の頼清徳(元台南市長)が予備選に立候補した。もし蔡総統に人気があれば、頼前院長は予備選に出馬しなかっただろう。
 当初、今年4月、民進党は予備選の実施を予定していた。党内が割れる事を恐れた民進党幹部は、予備選を5月に延期した。更に、ずるずると6月まで延長している。
 おそらく、党内予備選が5月までに行われていたなら、頼清徳前行政院長が蔡総統に圧勝していたはずである。ところが、6月に入ると、急に風向きが変わった。劣勢だった蔡総統が、頼前院長を大差で逆転勝利したのである。
 そのきっかけとなったのが、香港における「逃亡犯条例改正案」に反対する大規模なデモ(「反送中」デモ)である。香港政府に対する「民主化」運動が、台湾島内の政治状況を一変させたのだった。
 それは、2014年9月に始まった香港の「雨傘革命」(民主的な行政長官選挙実施を求める運動)が、同年11月の台湾統一地方選挙に多大な影響を与えた(民進党の大勝)のと軌を一にする。
 「1国2制度」下にある香港で「民主化」を求める大規模なデモが起こると、中国共産党から「1国2制度」を迫られている台湾では、習近平政権への反発が強くなる。
 そして、中国と近い関係にある国民党(親民党も含む)への支持が減少し、反対に、中国と距離を置く民進党への支持が増大する。有権者は、民進党と共に島内でまとまり、中国共産党に対抗しようという気運が高まるのである。
 それを、“台湾と香港「民主化」のシンクロ”と呼んでおこう。
 さて、頼清徳前行政院長は、予備選で敗れた。そのため、蔡総統は頼前院長ではなく、別の副総統候補を指名するのではないかと思われた。
 ところが、11月17日、蔡総統と頼前院長が会見し、2人が総統・副総統候補としてペアを組む事と発表した。民進党としては、これ以上ないベストの組み合わせとなっている。
 一方、韓国瑜高雄市長は国民党内の予備選で鴻海(ホンハイ)の郭台銘を破り、正式な同党総統候補となった。今年7月頃まで、韓市長は蔡総統を凌ぐ支持率を得ていた。
 ところが、香港で「反送中」運動が激しくなると、韓国瑜市長の支持率は、徐々に落ちて行く。そして、今年10月の時点では、韓市長は蔡総統に10ポイント以上の差をつけられている。
 その韓総統候補だが、副総統候補に無所属の張善政元行政院長を指名した。張善政は、馬英九政権時代(2008年5月〜16年5月)の最期、行政院長を3ヶ月余り務めている。
 第3の候補、親民党の宋楚瑜主席は、今度で総統選5回目の挑戦である。2000年、宋楚瑜は無所属で総統選に出馬し、善戦した。だが、民進党陳水扁に敗れている。2004年、親民党の宋楚瑜(副総統候補)は国民党の連戦(総統候補)と組んで出馬した。だが、連戦-宋楚瑜ペアは、陳水扁呂秀蓮ペアに3万票弱で敗れ去っている。
 その後、宋楚瑜は2012年、2016年の総統選にも出馬した。それは、親民党の立法委員選挙の票を伸ばすための方策だったのである。
 今回も、また宋楚瑜主席自らが出馬する。余湘という女性を副総統候補として指名した。
 なお、一時、王金平前立法院長(国民党)が、親民党からの総統選出馬を模索した。だが、上手く行かず、王前院長は、出馬を断念している。
 「喜楽島連盟」(福音派の台湾基督長老教会が中心)に推されて呂秀蓮元副総統(陳水扁総統時代)も立候補する構えを見せていた。
 ところが、呂元副総統は、28万人余りの署名を集める事ができず、次期総統選出馬を断念している。陳水扁元総統が、呂秀蓮元副総統の総統選への出馬を「時期、すでに遅し」と指摘していたが、まさに、その通りの結末となった。
 今後、台湾海峡両岸で、突発的な事が起こらない限り、蔡英文総統の再選は、ほぼ間違いない。だが、蔡総統の再選が、香港の「反送中」運動のお陰とは、今一つ腑に落ちない話ではないか。(2019年11月22日)

香港に隣接する広東省茂名市騒乱事件

今年(2019年)11月24日、香港で区議会選挙が実施され「民主派」が圧勝した。だが、「親中派」惨敗の選挙結果にもかかわらず、香港政府は依然、香港市民に対し耳を貸そうとはしない。 そのため、選挙後、初めての週末、約38万人(主催者発表)のデモ集会が行われた。香港政府に、「5大要求」(その中の1つ、「逃亡犯条例改正案」はすでに撤回)を強く求めるためである。
 ただ、今後、香港市民が大規模なデモを敢行すれば、また香港警察(中国武装警察が多数紛れ込んでいる)や人民解放軍(「雪楓特殊部隊」)が、デモ隊を容赦なく弾圧するだろう。
 さて、香港区議会選挙実施からわずか4日後の同月28日・29日、今度は香港に隣接する中国広東省茂木市化州市文楼鎮(人口約6万人)で、騒乱事件が起きた。
 今年に入り、化州市人民政府は、文楼鎮中心部から十数キロメートルの場所に、1万5000平方メートルのエコパークを作るという案を発表した。
 そして、11月中旬、村民らはエコパーク建設賛成に署名した。お年寄りさえ、署名したのである。
 ところが、同月27日、人民政府は、突如、当地でエコパークの中に、火葬場も建設すると公表した。人民政府が村民を騙したのである。
 近年、中国人民も健康に関心が高まり、環境問題には敏感である。激怒した村民らは政府に対し立ち上がった。その中には、13歳にもならない少年も含まれている。
 実は、人民政府は、すでに村民の抗議を予想して、およそ1000人の特殊警察を待機させていた。実に手回しが良い。警察は抗議者に対し、装甲車、高圧水車、ヘリコプター、ドローン等でデモ隊を鎮圧している。
 28日・29日の両日で、2人の村民が死亡し、多数の負傷者も出たという。そして、村民約50人が警察に逮捕されている。
 今度の騒乱の際、村民らは口々に「時代革命、光復茂名」を高らかに謳った。まさに、香港の「光復香港、時代革命」("Liberate Hong Kong, the revolution of our times"「香港の解放、私たちの時代の革命」)の“茂名バージョン”である。また、「香港独立」をまねて「茂名独立」という言葉まで登場した。ある村民などは、香港市民に共感できると語っている。
 結局、化州市人民政府は、文楼鎮の火葬場建設に反対者がいるので、建設構想は撤回すると発表した。
 今回、香港のデモが大陸にも飛び火した形である。これは、同党にとって“悪夢”ではないか。特に、騒乱事件の起こった場所は、香港からわずか100キロメートルしか離れていない。
 中国史を紐解けば、大陸での革命は、しばしば南部(広東省)から始まっている。例えば、孫文の「中国革命」も広東省広州市から始まった。また、孫文の後継者、蒋介石広州市から「北伐」を開始している。
 中国共産党は、(香港が火付け役となり)広東省に騒乱が発生すれば、中国全土に拡大するのではないかという恐怖心を抱いている。そのため、徹底的に武力弾圧を行う。
 しかし、同党は、「混合所有制」(活気のある民間企業と“ゾンビまがい”の国有企業を合体させる政策)で経済が破滅的危機を迎えている。いつまで武力だけで政権が維持できるのだろうか。
 ところで、11月27日(日本時間28日)、トランプ米大統領は、連邦議会上下院で通過した「香港人権・民主主義法」(以下、「香港人権法」)に不承不承署名した。
 たとえ、大統領が署名を拒否しても、いずれ上下院3分の2以上の賛成で、法案は通過するだろう。議案はどちらもほぼ全会一致で決定されていたからである。
 よく知られているように、トランプ氏はウクライナ疑惑で、議会から追い詰められている。仮に、下院で大統領の弾劾が行われても、上院で3分の2議席以上の賛成がなければ、弾劾は成立しない。
 もし、同大統領が「香港人権法」に署名しなければ、共和党議員が大統領から離れて行ったに違いない。だから、トランプ大統領は、どうしても共和党議員達の支持を繋ぎ止めておく必要があったのである。
 一方、現在、米中は「貿易戦争」中だが、トランプ氏は来年の大統領選挙をにらみ、好経済を維持しておく必要がある。だから、トランプ政権としては、習近平政権と貿易に関する話し合いで、多少妥協した方が米国経済にとってはプラスだった。
 けれども、「香港人権法」が成立したお陰で、米中経済対話の機会が失われたのではないか。
 これで、もし北京が“面子”を守るため対米経済報復すれば、自分で自分の首を絞め、結果的に、経済が壊滅状態に陥る。そのためか、12月2日、経済報復ではなく、米軍の艦艇や航空機が整備のため香港に立ち寄ることを拒否する措置を決定した。(2019年12月3日)

豪州へ亡命した中国人スパイ

  今年(2019年)11月26日付『ワシントン・ポスト』紙によれば、ここ1週間ほどで、習近平主席は3つの悪いニュースに接したと指摘している。 第1に、11月16日付『ニューヨーク・タイムズ』紙が、新疆・ウイグル自治区の収容所(再教育キャンプ)に関する詳細なレポートを報じた。
 第2に、同月23日、オーストラリアの『シドニー・モーニング・ヘラルド』紙は、自称、中国のスパイだったという王立強(William Wang)が、香港と台湾、それに豪州で行っていた諜報活動を暴露している。
 第3に、翌24日、香港で行われた区議会選挙で「民主派」が8割を超える議席を獲得し、「親中派」を撃破した。
 ここでは、第2の「王立強亡命事件」について取り上げたい。
 今年10月、自称、中国のスパイ、王立強(福建省出身の26歳)が、オーストラリアに亡命した。王は、今年5月頃から豪州保安情報機構(Australian Security Intelligence Organisation;略称ASIO)へ中国関連の機密情報を流している。王立強は、名前自体が仮名であるという(あるいは、ひょっとすると、王強かもしれない)。
 王は、スパイ活動に嫌気を差したので、オーストラリアへ亡命したという。ちなみに、王は中華民国大韓民国のパスポートも所持していた。
 この王立強なる人物が、本当に豪州への亡命を求めたのか、それとも「二重スパイ」となるため、わざと同国へ亡命したのか定かではない。
 前者ならば、大いに結構である。だが、亡命後、王立強が「二重スパイ」として、中国本国に豪州の秘密情報を流す事も十分考えられる。
 『孫子』を読めばわかるように「二重スパイ」とは相手の懐に飛び込み、さも味方の振りをして敵を欺く。中国の古典的手法である。王に、その疑いが残る限り、豪州や台湾は、王の情報を慎重に精査しなければならないだろう。
 さて、王立強が語った香港での主な“業績”は、2015年12月、銅羅湾書店の株主、李波を誘拐し、中国大陸に連れ去った事である。
 銅羅湾書店は、自社で製本し発行を行う。同書店は『習近平とその6人の愛人達』(その中の1人が、1989年の「民主化運動」の指導者、柴玲だと言われる)という本を発行予定だった。
 習近平政権は、この事を知って、同書店全員を拉致・連行したのである(桂民海はタイにいたので、中国共産党は同国から拉致した)。
 実は、李波は中国大陸で、自らの意志によって、ここにやって来たと言わされている。それでも、李波は翌年3月、香港へ戻れたので、まだ良かった。
 その後、李波は中国での出来事を全く語ろうとしなかった(スウェーデン国籍の桂民海の場合、いったん釈放された後、2018年1月、再度、中国国内で拘束されている)。
 他方、王立強の香港おけるスパイ活動は、次のようなモノである。
 まず、中国の学生に奨学金や旅行代、教育基金等を出し、香港に招く。そして、彼らに偽の「香港独立」組織を作らせる。彼らは、若い香港人を勧誘して組織に加入させた。そして、加入したメンバーが、どのような人物なのか、また、家族関係はどうなっているのか等を探らせたという。
 王は、香港関連で中国共産党から毎年5000万元(約7億7800万円)の工作費が出たと語っている。
 一方、台湾に関して、王立強は、昨2018年、民進党へ20万回のサイバー攻撃を仕掛けたという。
 また、来年1月の台湾総統選挙に向け、国民党の総統候補、韓国瑜を支持するよう、台湾メディアに対し、選挙資金15億人民元(約233.6億円)を配った、と王は証言している。
 ただし、これらについて、真偽についてはわからない。
 韓国瑜は王の発言に関して、これは次期総統選挙で自分を落選させるための策略だと主張する。中国共産党も、民進党が「王立強亡命事件」を次期総統選挙に利用していると非難した。
 しかし、現時点で、すでに蔡英文再選は濃厚である。だから、民進党自ら何か仕掛ける必要はないだろう。同党は、今のままで、じっとしていれば、ほぼ確実に勝利できる。余計な事をすれば、かえって、逆効果になりかねない。したがって、おそらく中国共産党民進党非難は、単なる言いがかりに過ぎないのではないか。
 なお、王立強は、台湾工作に関して、龔青(中国創新投資理事会主席兼行政総裁である向心の妻)と関係の深い女性を、直接、使って操作していたという。
 王がその事を暴露した後、台湾法務部(省)調査局は、桃園国際空港で出国しようとしていた向心・龔青夫妻を逮捕している。
 今後、法務部(省)が夫妻を調べれば、(王立強の素性を含め)真実が明らかになるに違いない。(2019年11月29日)

香港区議会選挙で圧勝した「民主派」

今年(2019年)11月24日(日)、香港区議会選挙が行われた(投票時間は朝7時30分から22時30分まで)。今後、香港の行方を占う重要な選挙として、世界から注目を浴びた。なお、同選挙は、小選挙区制で452議席が争われている(無投票選出議員<新界郷事委員会主席>の27議席を加えると全部で479議席)。 今回の区議会選挙有権者(7年以上香港に住む18歳以上)数は約413.3万人で、前回と比べ43.9万人も増加した。そして、投票者数は約294.4万人で、投票率は71.2%と驚異的な数字となった。前回時(2015年)より24.2ポイントも上昇している。
 4年前の投票率は、その前年(2014年)に起きた「雨傘革命」の影響を受けたせいか、47.0%と初めて40%を超えた。だが、今回は、それを遥かに超えた高投票率となっている(1997年7月の香港返還後、立法会選挙では、2016年の投票率58.3%が“記録的”と言われた。今回は、それを12.9ポイントも上回っている)。
 有権者が香港の未来に強い懸念を抱いたためだろう。さながら、「住民投票」の様相を帯びていた。
 既報の通り、今回、「民主派」が388議席と地滑り的に大勝し、一方、「親中派」は62議席にとどまった(「中間派」は7議席)。「民主派」は無投票選出議員らを除いても81.0%の議席を獲得している。
 ちなみに、前回は(無投票選出議員27議席を加えた458議席中)「民主派」が124議席、「親中派」が327議席(「中間派」は7議席)だった。
 今回、1096人が正式に立候補(被選挙権は10年以上香港に住む21歳以上)している。以前の区議会選挙では、立候補者が1人しかいないため、無投票で当選するケースが見られた。だが、今度の選挙では、それはまったく無く、「民主派」vs.「親中派」の戦いとなった。
 さて、この選挙結果を受けて、今後、何が変わるのだろうか。
 第1に、香港は18区域(香港島4区、九龍5区、新界9区)に分かれているが、「民主派」は17区域の議会で過半数を獲得した。そのため、議会の正副議長は「民主派」から選出される。
 第2に、今なお、1200人「選挙委員会」が行政長官を選出している。その中で、117人は区議会議員が担う。以前、その区議会議員は「親中派」が占めていたが、今後は反対に「民主派」が占めるようになる。
 現在、「選挙委員会」には、「民主派」が約325人存在する。そこに、「民主派」の区議会議員117人が加われば、全体の3分の1以上が「民主派」で占められる。当然、「選挙委員会」も多少変わって行く公算があるのではないか。
 第3に、立法会では区議会議員に1議席与えられている(他の区議会議員枠の5議席は選挙で選出)。今まで、その1議席は「親中派」に割り与えられたが、これからは「民主派」に与えられる。立法会は70議席と少ないので、この1議席の持つウエイトは決して小さくないだろう。
 ところで、来日中の王毅外相は、「香港が中国の一部であるという事実は不変だ。香港を混乱させる試みも、香港の繁栄と安定を損なうたくらみも、すべて成功することはない」と香港の「民主派」や米国をはじめとする国際社会を牽制した。
 おそらく、中国共産党の“本音”としては心中穏やかではなく、予定通り区議会選挙を実施した事に対し、地団駄踏んでいるに違いない。
 周知の如く、今年6月、香港では、「逃亡犯条例」改正案をめぐり、同改正案反対運動(「反送中」運動)が起きた。
 その後、香港警察(中国政府)とデモ隊の間で「内戦」状態に陥っている。選挙直前、香港中文大学と香港理工大学での攻防戦は、凄まじかった。香港警察が、主なデモ隊の拠点となっていたこの2大学を武力制圧したのである(未だに理工大学には学生の一部が立てこもっているという)。
 そのため、一時、区議会選挙の延期が懸念された。だが、無事に、区議会選挙が行われている。
 「逃亡犯条例」改正をめぐり、香港政府(バックには中国政府)がデモ隊に対し、武力鎮圧も辞さなかった。今度の選挙結果は、それに対する有権者の反発が強かったと見るべきだろう。香港市民の民意は、明らかに行政長官や立法会での「民主的選挙」の導入にあるのではないか。
 しかし、中国共産党は、「民主派」の行政長官が誕生したり、立法会で「民主派」が多数を占めたりする事を過度に恐れている。中国政府が香港をコントロールしにくい状態に陥るからだろう。
 けれども、結局、2047年には、香港の「1国2制度」が終わる以上、中国共産党はそれほど焦る必要はなかった。
 それにもかかわらず、習近平政権が慌てて香港の「1国2制度」を「1国1制度」に変えようとしているのは、ひょっとして、同政権自体がその終焉に近づいているからではないだろうか。(2019年11月26日)